http://nanyo.club/?p=108より引用
1932年3月、党員や支持者の多かった日本プロレタリア文化連盟(コップ)が手入れを受け、400名にのぼる検挙者を出した。
資金網をやられた党財政の困窮を救うための第1の手段は、金持ちの子弟のシンパに家の金を拐帯逃走させるというものであった。
さらに、同年7月から「日本共産党技術部」を「家屋資金局」と名称を変え拡充・再編成し、
大塚有章を中心に「戦闘的技術団」(レーニンに因む)をつくり、
非合法活動のため、強盗、恐喝、詐欺、美人局、エロ写真など考えられる限りの計画を立てた。
武装蜂起のための武器購入に資金が早急に必要だったのである。
そこで、資金獲得のために銀行強盗を思い立ち計画が進められた。計画を発案したのは、今泉善一であった。今泉は企画を持っていったのは自分で、やるよりしょうがないだろうという結論を出したのも自分と述べている。
アメリカのギャング犯罪が載っている本を読んで銀行強盗の研究をし、
密輸業者からピストルを60丁以上購入し、ゴロツキを使って、
不動貯蓄銀行??白山支店を襲撃しようとした。
しかし、そのゴロツキに準備資金を持ち逃げされて失敗に終わった。
この経験から、党員自らが実行する方針に変更し、再度不動貯蓄銀行を襲おうとしたが成功しなかった。
1932年10月6日、実行犯主導者の大塚は、西代義治、中村隆一らを指揮し、東京大森の川崎第百銀行を襲撃、
ピストルで行員を脅して3万円を強奪することに成功する。
モーニングを着て、盛装した河上芳子、井上礼子を連れて、
車に乗り強奪した金を運んだ大塚は、非常線に2回引っかかったにもかかわらず、
無事通過することができた。??